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八嶋博人(ヴァイオリニスト) 記事

 




ハノーファー北ドイツ放送フィル(NDR)公式サイト掲載記事 2019年6月

Ein an Erinnerungen reiches Orchesterleben NDR.de - Orchester und Chor - NDR Radiophilharmonie
https://www.ndr.de/orchester_chor/radiophilharmonie/Ein-an-Erinnerungen-reiches-Orchesterleben,yashima112.html

想い出多きオーケストラ人生

八嶋博人は30年以上にわたりヴァイオリニストとしてNDRフィルハーモニーで演奏をした。 彼は1987年から団員であった。NDRが「ハンブルクのためのコンサート」でエルプフィルハーモニーに客演した後、八嶋は引退した。

彼は3歳でヴァイオリン演奏を始め、ヴァイオリンを仕事とすることが夢だった。 しかし、彼の父が、音楽を勉強することに厳しく反対したため、彼は回り道をする必要があった。機械工学で学位を取得する傍ら、ポップシンガーさとう宗幸のバンドに同行し、新しいヴァイオリンを購入するための収入を得た。音楽でお金を稼げることを示したことで、彼の父は音楽の道に進むことを受け入れた。そして、彼の故郷である仙台に宮城フィルハーモニーが設立されると同時に入団し、2年間コンサートマスターを務めるとともに、ソリストとしても 多くの演奏をした。


ザルツブルクでのカルチャーショック

そして彼はザルツブルクのモーツァルテウム音楽院のシャンドール・ヴェーグ教授の元に留学した。勉強の傍ら、ザルツブルク・カメラータ・アカデミカで重要な経験をした。「ドイツ語を自分は初めて勉強した。自分は非常に勤勉だった。
全ての副科を勉強しなければならなかったにも関わらず、小ディプロムを2年で取得することができた」と八嶋博人は振り返る。
カメラータで彼は偉大なソリスト、例えばハインツ・ホリガー、オーレル・ニコレ、アンドラーシュ・シフと共演した。彼(シフ)とは モーツアルトのピアノ協奏曲を協演した。「初めてのヨーロッパですぐにこのような経験をしたことは自分にはカルチャーショックのような ものでした」と今日でも驚異に思う。


偉大な演奏家たちとの共演はさらに続く。2年後、彼はヴュルテンブルク室内オーケストラ・ハイルブロンにポジションを得た。そして、大ディプロムの取得と並行して、ムスティラフ・ロストロポーヴィチ、アンネゾフィー・ムター、アルフレッド・ブレンデル、ルドルフ・ブフビンダーらと数多くのコンサートツアーに参加した。 あるコンサートツアーの間に、彼はNDRハノーヴァーのオーディションを受けて合格した。 クラシックからポップまで幅広いプログラムを彼は最初から気に入っていた。 それまで大規模な交響曲の経験をあまりしていなかったため、彼は最初多くのレパートリーを学ばなければならなかった。最初の頃、彼は時にはヴァイオリン協奏曲のリハーサルでソロパートを弾いた。「大植英次がいつも言っていたように、i was very young」「いま思うとやや恥ずかしい」。と彼は笑う。 八嶋は、オーケストラがどのように変わってきたかについて熱く語り続けた。 「非常に良くなった。非常に素晴らしい多くの若者たちがやってきた」。 アンドリュー・マンゼが首席指揮者の時にオーケストラを引退することを彼は非常に幸運に思っている。なぜなら彼との共演は特別な経験だったから。


大植英次との多くの美しい演奏経験も忘れてはならない良き想い出である。 「彼はとても多くの演奏の喜びを発信した。あるシーズンには、彼は武満をテーマとした。素晴らしい経験だった」。ポップスやジャズへの 情熱については、彼はChet Baker、Al Jarreau、小曽根真との共演をベストな想い出としている。 また、リューベックでのエディタ・グルヴェローバとの「ランメルモールのルチア」の共演も忘れられない。「一列目に座っていたシュレスヴィヒ・ホルシュタイン州知事の夫が感動して泣いていたことを覚えている」。2016年のアンドラーシュ・シフとの中国ツアーも特別な 経験だった。そして、2015、2019年のザルツブルク公演も個人的な想い出と結びつく特別なものだった。このモーツアルト都市で勉強して以来、初めての訪問だった。「自分はそこらじゅうをあるきまわり、非常にセンチメンタルになった。30年ぶりの訪問だったから」。面白いコンサートツアーとしてブラジル、日本、スペイン、ピサ、パリ、ロンドン、あるいはドレスデン・ゼンパーオーパー・バレエとのアブダビツアーについても八嶋は語り続けた。


それ以外にも八嶋はソリストとして頻繁に各地を訪問した。日本、スリランカ、モンゴル、中国では彼は、日本の財団がアジアの子供たちの ために主催した孤児のためのチャリティーコンサートで頻繁に演奏をした。 「これは自分にとってとても重要。様々な理由でコンサートに行けない人々のところには、自分から訪問して演奏するのだ」と八嶋は語る。 「子どもたちはどこでもかわいい。例えばモンゴルでチゴイネルワイゼンを弾いた時、子供たちは凄く感動してくれた。とてもかわいかった」


音楽一家

ザルツブルクで彼は音楽家である美和子夫人と知り合った。「私たちの子供たちは、NDRフィルハーモニーと共に育った。練習や演奏会にしょっちゅうきて、最前列に座っていた」と八嶋は語り、そして非常に誇らしく彼らのキャリアを語る。 彼の娘である恵利奈は非常に注目を集める指揮者で、3年間シカゴ交響楽団でリッカルド・ムーティのもとでアシスタントを務めたあと、フィラデルフィア交響楽団のアシスタントコンダクターのポジションを獲得したところである。 息子の太問(Tamon)は作曲家として成功をおさめていて、7歳にしてコンクールで優勝した。 いまはエッセンで勉強をしていて、多くの委嘱作品を作曲している。 八嶋は、子供たちとともにNDRフィルハーモニーの室内楽演奏会で共演したことを とても嬉しく思い出す。「自分のオーケストラ生活がなかったら、子供たちははたして音楽家になっただろうか!」


(日本語訳:小田正雄)






2011年4月7日付

八嶋博人氏出演のチャリティーコンサートを
伝える、開催されたドイツの新聞。




フランクフルト・ブランデンブルク国立管弦楽団
首席客演指揮者 浮ヶ谷孝夫氏と協演。






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